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第18回UNDP職員リレーエッセイ「開発現場から」 UNDP本部管理局 山本直人さん

2013年9月6日



僕の名前は山本直人。国連開発計画(UNDP)のニューヨーク本部でIT関連の仕事をしている。 全世界に160以上の事務所を抱えるUNDPでこの仕事をしていると、この組織では世界中の何時でも何処かで誰かが仕事をしている事が実感できる。例えば、僕が寝ているニューヨークの午前3時は僕のチームが保守しているシステムの一番忙しい時間。アジア、中近東、アフリカそしてヨーロッパの事務所のスタッフが一緒にシステムを使ってくれているある意味では嬉しい時間。僕は寝るけれどもコンピューターは寝る必要が無い。だから僕が寝ていても、コンピューターがちゃんと世界中の事務所で行っている開発援助の裏方の事務仕事を処理してくれる。コンピューターは機械といえども時々調子を崩す。それが起こるのも大抵この一番忙しい時間。大抵の場合は、各国の事務所の方々が気付かないうちにジュネーブにいるチームが解決してくれるが、大きな不具合になると草木も眠る丑三つ時に僕の電話がなる事になる。

僕がUNDPで仕事を始めたのは、1994年。最初の赴任地はペルーの首都リマ。当時ニューヨークとリマの間の直行便は無く、マイアミで乗り継いで12時間かけてリマに行った。1994年のペルーは、しばらく続いていた輸入代替工業化政策と国際金融機関からの孤立の影響の残骸がまだ目に見えた時期。道路は閑散としていて、大半の車はワイパーが無い、扉がしっかり閉まらない、個々のパーツの色が違うといった問題を抱えるフォルクスワーゲンビートル。タクシーも同じで、扉を手で支えながら事務所からアパートへ帰ったのを覚えている。電話も簡単に引く事ができず、電話が既に引いてある事がアパートを探す一つの条件だった。共産ゲリラによるテロ活動も収束する過程にあったもののまだあった。花火の音が聞こえて、僕が窓に向かって歩いた時、ペルー友人たちは床に這いつくばっていた。彼らにとって花火の音は車爆弾のそれであった。

フジモリ大統領下の教育改革、国内避難民(IDPs)の故郷への帰還を支援するプロジェクト等に関わりながら、3年ペルーで過ごした。僕がペルーを去った1997年、リマの町は車であふれて、渋滞が社会問題となっていた。僕の友人たちは、大抵携帯電話を持っていて、リマからニューヨークは直行便で8時間と短縮された 。リマでの3年は、UNDPでの仕事を覚えるのと同時に、国が豊かになっていく過程とそれに伴った社会の変化を直接目で見て肌で感じる事ができた僕にとって大事な時期だった。この時期に政府が政策を通じて国を豊かにする仕事に国際機関の一員として携わり、政策の策定とその実施が実際に国の方向を左右するという過程に関わって得たものは大きかったと思う。個人的には、策定よりも実施の方に携わっていたのだけれど、政策を実施するための組織の力の大切さを学ぶよい機会であった。

それから十数年、僕はUNDPの表舞台の仕事から、裏方のシステム構築と保守の仕事をするようになった。ペルーもさらに変わったし、世界もかなり変わったと思う。人、物、金、情報の国を超えた移動が格段に楽になった。それに伴って、資金、技術の移転は民間企業が担う割合が格段に増えた。開発途上国での政策の策定と助言の分野でも、民間のコンサルタントが担う役割が増えた。非営利団体も国際援助の過程で重要な役割を果たしている。開発途上国での開発事業に関わる役者が増えたのはいい事だと思うし、それによって多くの地域では人々の暮らしは格段によくなった。同時に、この十数年相変わらずの所もある。そういった状況を見るとき、UNDPのような組織が出来る事は、いろいろな開発に関わる役者が、人々の生活を豊かにできるように効率よく参加出来る仕組みと条件を政府とともに作っていく事だと思う。

今の仕事はシステムの構築、保守をとおして、組織の効率をよくする事。組織の中の人、物、金の流れを把握して、事業目的の達成の為に効率よくそれらを分配していく為に必要な情報を提供できる基盤を作って、調整していく仕事をしている。僕の役割は、技術面の統括で毎日システムが正しい形で機能し、必要な情報が提供されているようにする調整をニューヨークとヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカに展開しているサポートオフィスのチームと行っている。この仕事をしていると、技術の提供のみならず、その使い方が見える。組織の中の潜在的な効率化の機会が見える。加えて、コンピューターは、人の頭と違って筋の通っていない話は処理できないので、何処かで誰かが無理をしていると、構築の段階でその無理な点もよく見える。そうして見える事をどのように組織作りに反映できるかという事をいつも考えさせられる。

情報の流れが良くなった事、情報技術の進歩は、今まで現地にいなければわからなかった事の多くがどこからでも見えるようにした。現地にいなくても現地の仕事のために協力できる仕事の分野も増えた。これらの技術革新がもたらした事は開発事業のイノベーションのための一つの鍵だと思う。速いスピードで変わっていく世界の中で、UNDPの事業をそれに合わせて変えていくために今の仕事を通して貢献できたらと思っている。そうする事によって、生まれた場所によってその人の人生の可能性が決まるという不公正が世界からさらに少なくなればいいと思う。

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山本直人(やまもと・なおと)
UNDP管理局情報システム技術室 エンタープライズ・ソリューション部門チーフ。ペルーを始めに9年間ラテンアメリカおよびカリブ海諸国のUNDP国事務所に勤務。2004年、UNDPの資源計画ソフト(ERP)導入プロジェクトへの参加を機にビジネスプロセス・リエンジニアリング、テクノロジー分野に転向。2008年より現職。慶應義塾大学卒業。コロンビア大学行政学修士。

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